上位の批判的レビュー
5つ星のうち2.013巻よりマシ
2020年1月5日に日本でレビュー済み
既出レビューが、披露宴スピーチを思わせる。「どってことない美点を頑張ってヨイショしてる」ように読めるのだ。私は別の見方を提供しよう。星二つ、というのは「酷評された13巻よりはマシ」という評価である。何がもの足らないのか。下記二点である。(a)作画の乱れが改まっていない。(b)ストーリーテリングが浅い。
(a)であるが、13巻の絵の乱れは相当な不評を買った。そのレベルで酷くはないが、14巻の、例えば164ページのジャンヌ、11巻172ページと比較されたい。やはり同じレヴェルで絵が描けていないことが分かる。また、本編前にカラーのアールヌーヴォー風口絵が入るのはお約束だが、14巻口絵も、例えば4巻と比べると見劣りする。4〜8巻水準まで画質を戻すのが、当たり前の商品管理であろう。
(b)ストーリーが練られていないと言わざるを得ない。ケネディという逸材を5話に渡って使っておきながら、JFKエピソード数ある中、マンガ向けの逸話が抜けている。「マリリン・モンローのハッピーバースデイ斉唱」および「ベルリンでの『私はドーナツである』演説」は最たる物(両方ともネット動画が見られる)。モンローを10巻で登場させながら、14巻では39ページに一言「関係があったとか」と言い添えただけ。これは余りに好機を逸した、というより何も考えてないと言いたい。モンローの斉唱と言えば、「何故か」妻のジャクリーンが欠席した誕生パーティイベントであり、その後のジャクリーンはさっさとケネディ家に見切りを付け、オナシスと再婚したという因縁満載事件。大久保利通が西郷隆盛の写真を見て(174ページ)驚嘆するのであれば、ケネディがモンローの写真に接すれば心安らかにいられるはずがないのである。そうした場面を描くチャンスを「関係があった」で片付けた点は、ストーリー作りの浅薄さと評価しよう。
『ドーナツ』演説も、キッチンで作る物が関わるならこの漫画で取り上げられて当然である。無理に、史上接点の無かったロベルピエールを引っ張り出すより、118ページのJFK射殺、狙撃手とされるリー・ハーヴェイ・オズワルドが出ていればどうだったか。オズワルドも裁判を受ける前に暗殺され、本作出場資格は満たしているのだ。オズワルドがケネディに遭遇し「仕留め損なったのか」と悩む一方、彼に撃たれると知るよしもないJFKが「俺にドーナツ出すってどういうイヤミだよ」と不貞腐れる中、両人にドーナツ食べさせて園場説教が出る、等と仕上げた方が、ケネディ出演作としての見応えも上がったであろう。
最後に、茂野月vsジャンヌ抗争が口絵だけで終わる。これは作品としての延命措置か。おあずけを喰った拍子抜け感だけが残る。
諫言を重ねたが、2〜9巻の頃の見応え、読み応えに復活して欲しいという願いからである。13巻の読後感は「次が同じ仕上がりならもう買わない」であったが、多少の向上が見られたので15巻までは私は買うであろう。さらなる品質改良を期待して、二星を贈ろう。