上位の批判的レビュー
5つ星のうち1.0【復活編】ロボットや魂(=自我)に対する考察が足りない作品
2021年2月28日に日本でレビュー済み
(本単行本の7巻から8巻には【復活編】が収録されています。)
【復活編】ロボットや魂(=自我)に対する考察が足りない作品
朝日版で313ページ。本作品(「火の鳥」【復活編】)は、「火の鳥」の主要キャラの1人であるロビタ誕生の物語だ。AD2482〜2484年は宮津レオナが主人公でロビタが誕生するまでの話で、AD2917年〜3344年はロビタのその後の話。
結構行ったり来たり複雑な話なのであらすじをまとめる。
AD2482年、宮津レオナは交通事故で死ぬが身体の大半をサイボーグ化されて生き返る。このときからレオナは、人間よりもロボットに親近感を覚える嗜好になってしまい、やがて出会ったロボットのチヒロに恋をする。「自分は人間なのかロボットなのか」レオナは苦悩する。
AD2484年、レオナはチヒロを会社から"盗み出し"て駆け落ちする。2年の間、悩んだ末にレオナは結局自分が元々人間であったという出自よりも現在の自分の感情を信じる事を決心したのかもしれない。しかしその旅先で再び事故に逢い重体となったレオナは死ぬ間際にマッドサイエンティストのドク・ウィークデーにお願いをする。
レオナ「ぼくの…心を…チヒロに…うつしてほしい… 」「心は…あのチヒロと…結ばれたい…」
ドク「わかったよ」「たぶん そのロボットの心とおまえさんの心とは まじりあって一つになって活動するじゃろうテ」
かくしてレオナとチヒロは死後の世界(?)で一つになり、ロビタとして新たに生まれ変わる。
ロビタは生まれた直後ははっきりとレオナの意思と記憶を持っているようだが、「一年後」の登場シーンではもうほとんど自我を失って「ロビタ」になっているように見える。
AD2917年、ロビタは他の人間に拾われて家族同様にかわいがられ、その後大量に複製される。
AD3009年、一体のロビタが無実の殺人罪の疑いをかけられる。
AD3030年、有罪判決となりロビタの溶解処分が決定。
ロビタ「私達ハ昔タッタ一人ノロビタカラ別レテ増エタ 兄弟デス」「私達ハ全部ガ一人デ 一人ハ全テデス」「モシ私達ノ一人ガ死刑ニナレバ ロビタハ一人残ラズ死ヌデショウ」
で、世界中の全てのロビタが一斉に集団自殺。
そのとき月面の倉庫番をしている男に使われていた1台のロビタだけは自殺することが叶わなかったが、ほとんど消えかけていた自我を取り戻す。
ロビタ「私ハ人間デス」「少ナクトモ 先祖ハ人間ダッタ!キットソウダ」「私ハ今マデ 感情トカ愛情トカヲ 感ジタ事ハ無カッタ ダカラ今私ノ目覚メタ意識ハ只ノ気分デハ アリマセン」「確カニ 私ノ心ノ ドコカニ 人間ダトイウ意識ガ生マレタノデス」
ロビタは倉庫番の男を殺し、月面に一人取り残される。
AD3344年、月面に300年間あまりも一人取り残されたロビタは猿田博士に拾われる。
感想。本作品はロボットという存在がテーマとなっているが、設定の作り込みが甘すぎるために物語に気持ちを集中する事ができなかった。
まず、レオナが身体の大半をサイボーグ化されて生き返ってから、人間よりもロボットに親近感を覚える嗜好になってしまい、やがて出会ったロボットのチヒロに恋をするという設定。いやいやいや…「ねーよw」の一言だ。
次に、ロボットは魂を持つ存在なのか、魂を持たない只のプログラムなのかという問題。
まずはチヒロから。レオナから見て、チヒロが魂を持った人間の女性のように見えていたのはおそらくレオナの幻覚で、実際は魂を持たない只のプログラムだったというのが常識的な見方だ。しかし、レオナの「心」をチヒロの電子頭脳に移した時にレオナとチヒロが死後の世界(?)で一つになる描写は、明らかにチヒロが人間同様に魂を持った存在であるという手塚のメッセージだ。
次にロビタ。「ロビタは他の種類のロボットと違いどこか人間臭さを備えていた」という説明からは、ロビタが魂を持った存在である事を匂わせる。1台目のロビタはレオナとチヒロの魂が入っているという事だからそうだろう。しかし大量生産されたロビタはどうだろう?レオナとチヒロの魂がコピーされて全てのロビタに入っている?まさか。魂とは自我だ。自我がコピーされたらそれはもう自我ではない。または、ロビタが生産された時に他の生物の誕生と同様にどこからか輪廻転生してきた魂が宿り、ストレージに記録されたレオナとチヒロの記憶を自分自身の遠い過去の記憶のように錯覚して生きている?それだと一応説明がつく気がするが…。
真面目に考察していたらバカバカしくなってきた。もうどうでもいい。
【「火の鳥」全12編レビュー】
手塚治虫の「火の鳥」全12編を一気に読んで全作品のレビューを書きました。
★1〜★5で評価した結果はこうなりました。
★5:(該当なし)
★4:【鳳凰編】【太陽編】
★3:【ヤマト編】【異形編】【未来編】【宇宙編】
★2:【羽衣編】【黎明編】【乱世編】
★1:【復活編】【生命編】【望郷編】
一般に高く評価されている「火の鳥」ですが、バイアスなしで個々の作品として評価した場合、本当にそこまで高く評価されるべき作品でしょうか?手塚治虫が漫画界のレジェンドである事、また「火の鳥」が生命というテーマを扱っている事、これらが合わさってこの作品が神聖視され、「この作品は素晴らしいはずだ」という強いバイアスが世の中に醸成されているように感じます。
私はこのレビューを書くにあたり「火の鳥」全12編を2回以上通読しましたが、忖度抜きで言うとはっきり言って「火の鳥」はつまらないです。
純粋に作品として「読むに値する」水準に達していたのは【鳳凰編】【太陽編】で、★4をつけました。
漫画の神・手塚治虫の代表作「火の鳥」を教養として知っておくことの価値を付加してやっと「読んでもいいかな」と思えるのが【ヤマト編】【異形編】【未来編】【宇宙編】で、★3をつけました。
これら以外の6編は★2と★1です。
「火の鳥」という作品では「生命とは何か」というテーマで大上段の俯瞰視点から人間を見下ろすようなシーンがよく出てきます。
【望郷編】や【未来編】で「どうしていつも人類は間違ってしまうのでしょう」というシーン。
【鳳凰編】や【乱世編】で説かれる輪廻転生の話。
【未来編】で説かれるガイア理論(人間も地球という大きな生命体の一部という見方)の話。
しかしどれも、「今、ここ」を生きる人には関係ありません。ひとりの人間には人類全体の性質をどうこうすることはできないし、輪廻転生やガイア理論があろうがなかろうが今の自分の人生を一生懸命生きるだけ。そして人の心を動かすのはいつも「今、ここ」を生きる一人称の物語です。
つまり「火の鳥」という作品のテーマ自体が、心を動かす物語に水を差すような性質を持っていると言えます。もっと言えば、生命讃歌を表現しようとするあまり人間という存在のもっとも尊い部分を見失ってしまっています。
また、「火の鳥」はプロット・設定・人物像が現代の漫画のように緻密に練られていません。「火の鳥」単行本化の際や単行本の改版の際に多量の加筆・修正が入っているのはプロットが十分に練られていない事の証左ですし、人物像の作り込みは、現代の良くできた漫画が緻密に描かれたデッサンとするなら「火の鳥」は棒人間の絵くらいの差があります。