上位の批判的レビュー
5つ星のうち1.0【望郷編】詰め込みすぎて破綻したストーリー
2021年2月28日に日本でレビュー済み
(本単行本の9巻から10巻には【望郷編】が収録されています。)
【望郷編】詰め込みすぎて破綻したストーリー
朝日版で416ページ。本作品(「火の鳥」【望郷編】)は具体的な年代表記は出てこないが【生命編】より後、【宇宙編】【復活編】よりも前の時代とされる。
私はこの物語を [序盤], [中盤], [終盤], [エピローグ]と分けて考える。
[序盤]:惑星・エデン17でロミが子孫を繋いでいこうとする奮闘記
[中盤]:「死ぬまでにたった一度でも地球に帰りたい」年老いたロミと、ムーピーとの混血児コムが地球へ向かう旅
[終盤]:地球に着き、そして故郷の景色にたどり着くまでの旅、そしてロミの死
[エピローグ]:エデン市民の堕落と破滅
たくさんの要素が滅茶苦茶に詰め込まれているが、私はこの物語は[序盤]と[エピローグ]だけで十分だったと思う。
[序盤]のロミのセリフ
ロミ「あなたとあたしとは 夫婦にならなければいけないわ そうでないと この星は 人間がとぎれてしまうもの」
手塚の独特な価値観の押し付けが鼻につくが、それでもロミとその子供、孫が近親相姦の禁忌を犯しながらも子孫を残そうと奮闘する序盤は読者を惹きつける面白さがある。
[エピローグ]では、争い事など一切なく平和に暮らしていたエデン市民が酒・ギャンブル・武器を得た途端に自滅して滅んでしまう。これは上手いオチになっていると思う。
ただ、エデン市民はここまでにキャラ描写がほぼゼロのモブキャラで、それが何十万人死のうと読者にとってはほとんど何の感慨も湧かないのは残念なところだ。
[中盤]は地球に向かう旅の途中で、いくつかの風変わりな惑星に立ち寄る銀河鉄道999みたいな構成のエピソードだが、これが酷い。もはや寓話のような説教めいたメッセージすらも読み取れない、常人の理解を超えた手塚ワールドが展開される。本当に、このエピソードを通じて一体何を言いたいのか全く分からず、本作品のストーリーの中でも何の意味も成しておらず完全に蛇足だ。
[終盤]はロミが念願の故郷を訪れる「望郷」の旅のクライマックスだが、私の気持ちは全然盛り上がらなかった。「最愛の人に再会したい」と言うなら理解できるが、「故郷の景色を見たい」ってそんなに人生を賭けるほどの事だろうか?故郷に着いてからたったの1日で死んでしまうのも、最愛の人に再会してこれからずっと一緒に暮らしたいってところで死んでしまうのなら悲劇たりうるが、景色を見たいだけなら1日で十分じゃないか。そもそも、自分を慕うたくさんの子孫たちが暮らすエデンこそがもはやロミにとっての故郷ではないのか。地球で死んだロミの亡骸を牧村がエデンに運んで埋葬し、情感たっぷりにサン・テグジュペリの「星の王子さま」を読み聞かせるのがこの物語のラストシーンになっているが、だからなんだって言うのか?死んだ後にどこに埋葬されるかよりも、「どう生きるか?」が問題だ。自分を慕うたくさんの子孫たちを愛さず、空虚な「望郷」の思いのせいで死んでいったロミの生き様は、私の心に何の感動も残さなかった。
【「火の鳥」全12編レビュー】
手塚治虫の「火の鳥」全12編を一気に読んで全作品のレビューを書きました。
★1〜★5で評価した結果はこうなりました。
★5:(該当なし)
★4:【鳳凰編】【太陽編】
★3:【ヤマト編】【異形編】【未来編】【宇宙編】
★2:【羽衣編】【黎明編】【乱世編】
★1:【復活編】【生命編】【望郷編】
一般に高く評価されている「火の鳥」ですが、バイアスなしで個々の作品として評価した場合、本当にそこまで高く評価されるべき作品でしょうか?手塚治虫が漫画界のレジェンドである事、また「火の鳥」が生命というテーマを扱っている事、これらが合わさってこの作品が神聖視され、「この作品は素晴らしいはずだ」という強いバイアスが世の中に醸成されているように感じます。
私はこのレビューを書くにあたり「火の鳥」全12編を2回以上通読しましたが、忖度抜きで言うとはっきり言って「火の鳥」はつまらないです。
純粋に作品として「読むに値する」水準に達していたのは【鳳凰編】【太陽編】で、★4をつけました。
漫画の神・手塚治虫の代表作「火の鳥」を教養として知っておくことの価値を付加してやっと「読んでもいいかな」と思えるのが【ヤマト編】【異形編】【未来編】【宇宙編】で、★3をつけました。
これら以外の6編は★2と★1です。
「火の鳥」という作品では「生命とは何か」というテーマで大上段の俯瞰視点から人間を見下ろすようなシーンがよく出てきます。
【望郷編】や【未来編】で「どうしていつも人類は間違ってしまうのでしょう」というシーン。
【鳳凰編】や【乱世編】で説かれる輪廻転生の話。
【未来編】で説かれるガイア理論(人間も地球という大きな生命体の一部という見方)の話。
しかしどれも、「今、ここ」を生きる人には関係ありません。ひとりの人間には人類全体の性質をどうこうすることはできないし、輪廻転生やガイア理論があろうがなかろうが今の自分の人生を一生懸命生きるだけ。そして人の心を動かすのはいつも「今、ここ」を生きる一人称の物語です。
つまり「火の鳥」という作品のテーマ自体が、心を動かす物語に水を差すような性質を持っていると言えます。もっと言えば、生命讃歌を表現しようとするあまり人間という存在のもっとも尊い部分を見失ってしまっています。
また、「火の鳥」はプロット・設定・人物像が現代の漫画のように緻密に練られていません。「火の鳥」単行本化の際や単行本の改版の際に多量の加筆・修正が入っているのはプロットが十分に練られていない事の証左ですし、人物像の作り込みは、現代の良くできた漫画が緻密に描かれたデッサンとするなら「火の鳥」は棒人間の絵くらいの差があります。