カスタマーレビュー

2020年7月28日に日本でレビュー済み
デスゲームものかと思いきや、サイコホラーと思わせて災害パニックホラーと、面白い要素が詰め込まれていました。
何より、生と死の際を描くことで、生そのものについての考えを深める内容になっています。
ラスボスは、作中では真実を知りませんでした。しかし、読者にとってはまさしく、種明かしの役割を果たします。
ラスボスとの対話の中で、今際の国には特定の「黒幕」、つまりジョーカーが存在する、という仮説が、徹底的に否定されます。
ストーリー上は、黒幕とは「災害」ですが、ラストのジョーカーの描写から分かるように、より本質的な黒幕は「死」そのものです。
裏を返せば、真の黒幕は「生」ということになるでしょう。
隕石災害だけが特別、とい見方もできますが、どちらかと言えばもっと普遍的なものでしょう。
例えば旅客機の墜落でも、地震災害でも、生と死の狭間にはどこにでも、今際の国があると思われます。
そして、現実が多数の人の関係性から成り立つように、今際の国でも、人々の関係性が生と死を分かつ構造になっています。
それは、げぇむの参加者同士、でぃいらぁとの関係性、絵札との関係性、などです。
絵札のプレイヤーは、おそらく次の今際の国、つまり別の災害で中心的な役割を果たすでしょう。
そう考えると、今際の国とは、現実の生を経て人々が選択することになる、一つの到達点と言えます。
今際の国は、明らかに幻覚や夢、妄想の類として描かれてはいません。従って、この構造を容易に反転させることができます。
つまり、今際の国が現実のコピーなのではなく、現実の方が、今際の国が存在するからこそ存在できていると言えるのです。
今際の国から誰もいなくなれば、もはや現実での死は論理的に存在できなくなります。畢竟、生が存在できなくなり、現実も存在し得ません。
すぺえどのきんぐとの対話や、ラストの生に関する問いかけから分かるように、現実が確固たる真実として存在しているわけではなく、真実と呼ばれるものはあくまでも相対的な理由づけ以上の意味は持たず、現実とは関係性の中に生きるということに名前をつけただけのものだということが示されているとも言えるでしょう。
不思議の国のアリスにおいて、不思議な国とはなんだったのか、改めて考えてみるのも面白いかもしれません。
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