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2021年5月23日に日本でレビュー済み
本書は、オランダ、イギリス、フランスが設立した「東インド会社」を軸に据えつつ、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマの喜望峰発見に始まる「西力東漸」の歴史を分かりやすく解説したものである。

私は文明堂のカステラを通じて日本に渡来した「南蛮人」、ポルトガル人、スペイン人、オランダ人を知っている。私たちの知っている南蛮人は、交易を目的に遠路はるばる日本にまでやってきた遠来の客で、黄金バットみたいな奇妙な襟飾りのついた服を着た連中として記憶されている。しかし、同じ「南蛮人」がインド、あるいは東南アジア(特にインドネシア)で見せた振る舞いは、日本での彼らの振る舞いとは180度異なる。一見、友好平和を掲げて揉み手しながら近寄って来て、その実、こちらを頭のてっぺんからつま先まで舐め回すように見ては値踏みして、付き合い方を計算する人間の浅ましさは昔も今も変わらない。彼ら「南蛮人」は、インド、アフリカ、あるいはインドネシアに住む人々の軍事力が「取るに足らない」と値踏みするや、大砲、軍艦を差し向けて住民を虐殺し、場合によっては皆殺しにして、その地を占領支配した。彼ら「南蛮人」がインド、あるいはインドネシアで行った文字通り酸鼻を極める悪事の模様は本書に余すところなく書いてある。その冷血動物ポルトガル人、スペイン人、オランダ人が、なぜ日本では慣れない恵比寿顔を作って日本の将軍に擦り寄り、将軍が投げかける無理難題を平蜘蛛のように地に這いつくばってでも甘受したのはなぜか。それは当時の日本(豊臣政権末期、あるいは徳川政権初期)が欧州の諸国がとてもかなわないほど高度に武装した巨大軍事国家であり、「日本人と戦争してもとても勝てない」と彼らが判断したからなのである。国家の安全保障にとって軍事力が常に重要なのは昔も今も変わらない。『無防備マンが行く!』等という愚かな政治マンガがあるが、歴史上、無防備マンは常に虐殺され地上から消し去られる宿命にあったことを、日本とアジアの経験は我々に教えてくれる。

本書の白眉は、野蛮な白人どもが、なぜインドを支配し、アジアを支配し、「帝国主義」「植民地帝国」を拡大出来たのかという、その理由とメカニズムに関する説明である。著者の羽田正教授曰く、それには当時の西欧の国家概念と、インドや中近東、中国、東南アジアで一般的だった国家概念がまるで異なっていたことが一番の原因だと言う。具体的に言おう。ヨーロッパでも中世までは、皇帝や王のほかに公爵、伯爵、騎士のような土侯がいえて権勢を振るっていたほかに、教皇や大司教のような宗教勢力も政治力を持っていて、国境という地理的な枠で仕切られた「主権国家」という概念は希薄だったという。これが段々整理され固定的な領域を持つ「主権国家」が西欧のプレーヤーの基本単位となっていく。主権国家同士は規模の大小、強弱はあっても基本的には台頭とされ、その対等な国家同士が集まって交渉するのが外交であった。

アジアは違った。アジアは領域よりも人間を支配しようとした。これはどういうことかというと、外人と自国民の区別なく、立っているものは親でも使えではないが、土着権力に擦り寄り、土着権力に役に立つ人間なら西欧人だろうと何だろうとインドのマハラジャは差別なく取り立てて重用したということだ。こうして英国東インド会社はインドの沿岸地域を中心に彼らの軍事的庇護をうける藩王国を増やしていき、徴税代行の権限を獲得して「事実上の支配権」を増やしていったのである(名目上の支配者はインド人のマハラジャであったことに注意)。徴税代行というのは、何時の時代、どこの国でも汚職の温床である。税の取り立ては簡単ではないので、必ず一定の軍事力を必要とする。しかし、軍事力を持った徴税吏は居丈高になって、マハラジャから指示された税率以上のものを末端から取り立て、差額を懐に入れる。こうして東インド会社では巨額の財産形成を為して祖国に凱旋するインド成金ネイボッブが量産される(丁度、今の中国共産党幹部の汚職と同じと思えば良い)。私腹を肥やす現地派遣人が続出する中で、東インド会社の軍事負担を増える一方で、やがて会社は赤字基調となる。こうして繁栄を極めたイギリス東インド会社は、やがて歴史の彼方に消滅していくのである。

ちなみに17世紀初頭、西欧以外の地域で、例外的に「主権国家」の概念を勝ち取った国がただひとつあった。それが日本だったと著者は指摘する。早々に内と外を区別し、主権国家の概念を確立していたからこそ日本は19世紀の明治維新時、ほとんど何の混乱も無く西欧諸国が展開する帝国主義ゲームに参戦することが出来たのだという。

西欧が貧しく、売るものが無かったという指摘も頷ける。アジアにやってきた西欧人はインドの綿織物や東南アジアの香辛料、中国の茶、日本の銅・銀など欲しいものが山ほどあった。にもかかわらず西欧人がアジアに売れるものは何もなかった。西欧の特産品といえば毛織物や宝飾品くらいで、どれもこれもアジアでは欲しくも無い代物だ。それでも何故西欧人がやがてアジアに大規模な進出を果たし、ごっそりアジアの品々を本国に持ち帰ることが出来たかというと、それは南米を軍事的に侵略し虐殺を繰り返した上で彼の地の貴金属を強奪し、それを以てアジア産品の買い付け資金に充てたからだと言う。羽田正教授は「東インド会社の行動は、例えて言えば、ほとんど元手をかけずに他人の家から持ち出したお金を使って、本来足を踏み入れることの出来ないはずの高級店で一流品を買い、それを自分の家に持ち帰って利用したり、売却して利益を得たりしていたということである。このような行動を200年も続ければ、北西ヨーロッパが全体として豊かになり、世界をリードする経済力を身につけるのは当然だろう」と分析している。そして「近代ヨーロッパは、決して地理的な意味でのヨーロッパとそこに住む人々が独力で生み出したものではない。東インド会社が運んだアジアの産物とアメリカの銀がヨーロッパに豊かさをもたらした。優れたアジアの製品を目標として技術革新が進んだ。近代ヨーロッパは、言わば世界全体の子供なのである」と結んでいる。なかなかなまとめ方だと思う。
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