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2017年11月17日に日本でレビュー済み
東インドとは、ヨーロッパから希望峰を回ったところに開ける世界すべてをさす、ちなみに西インドとは大西洋の先にある新世界を言うから、今のインドとは何の関係もない。最初に東インドに進出したのはヴァスコ・ダ・ガマを擁したポルトガルである。しかし、そこにはすでにイスラム商人や華人商人によって中国、ジャワ、インド沿岸部、アフリカ沿岸部を結ぶ通商が活発に行われていたし、陸地にはいくつかの帝国が存在していた。このシステムに入り込む形でポルトガルは参入し、香辛料などをヨーロッパに持ち込み大きな利益を上げた。日本の種子島にもポルトガル人はやってきた。しかしこの貿易独占は長くは続かなかった。ポルトガルは広大な”海の帝国”を維持するほどの人口や経済力を持たなかったからだ。続いて、オランダが東インド会社を設立し、イギリスが続いた。東インド会社は航海の危険を回避するため、共同出資の形をとった。利益率は高いが、季節風を利用した航海はほぼ1年がかりだし、難破や略奪のリスクも高いからだ。東インド会社は各地の港に商館を構え、現地の政治には口出しをしなかった場合が多い、ジャワなどでは沿岸部を領土化した例もあるが、鎖国までの徳川幕府とは会社はことを構えず、いろいろな制約に大人しく従った、それだけ儲かるからである。インド洋とヨーロッパの貿易のみならず、インド洋とジャワあるいは日本、中国(明朝の海禁政策をくぐり抜ける必要はあったが)などとの貿易も利が大きかった。インド洋では陸の帝国は緩やかな支配をしたが、東アジアの明朝と徳川日本はより統制的な政策をとった。

著者はこのような大きな絵図を提示しつつ、その中で生きた様々な人物の生涯を跡付けてもいく。オランダ側の人物のみならず、日本人とオランダ人の混血児でジャワに渡った女性の話などとても興味深いものがあった。多くの東インド会社幹部が会社の船を私的に利用して自己の蓄財に励む例なども人間臭い、これが会社の利益を食ってしまうことになるのだが。1500年代からの200年間でヨーロッパからアジアに向かった人が200万人、帰った人が70万人だから、かなりの人数の移動があったのだろう。

しかし、東インド会社は政治に関わらないはずだったが、ふとしたことから、ベンガル地方の徴税請負を行うようになる。徴税するとはつまり統治することであるが、深い考えもなしにズルズルとのめり込んでしまい、版図は拡大していく。この政治的負担が会社の利益を毀損し、東インド会社はその性格を変えつつ最終的には自由貿易をよしとする時代の変化の中でその命脈を閉じていくのだ。インドの植民地化は産業革命後、イギリス製の綿織物の市場としての利用価値があったのだが、それは意図せざるものとして始まったのだ。それ以前は、インドはキャラコと呼ばれる質の高い綿織物の産地で、そもそもそれを目的にヨーロッパ人が進出した。ここらあたりの経緯(在来工業の破壊)が植民地主義の罪として告発されることになる。

著者によると、本書の成り立ちは、とある帝国の興亡の歴史を依頼されたのだが、著者がそれを断り本書のような海洋貿易史のスタイルになったのだという。その試みは大いに成功していると思われる。
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