カスタマーレビュー

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2020年3月16日に日本でレビュー済み
これまで多くのハンニバルやカルタゴ関係の本を読んできた。

ローマ史をメインにしてハンニバルやカルタゴに言及する書籍を含めれば、おそらくは20冊はくだらない(ハンニバルを主人公としたマンガ『アドアストラ』は全部で10数巻だが、これは1冊と数えるとしてw)。

が、本書はカルタゴのみならず、フェニキア人の歴史をその出自から詳しく述べている点で、これまで読んできた本とは、少し趣が異なる。

それはそれで面白いのだが、ここで書き留めておきたいことは少し別のことである。

それは、やっぱりハンニバルのことで、なぜあの歴史的なカンナエの戦いの後、ハンニバルはローマへ進軍せず、ローマ直接攻撃をためらったのか、についてである。

カンナエの戦いは、ハンニバル軍4万が、2倍にもなる8万のローマ軍を破った歴史的な戦いであり、包囲殲滅戦のお手本として今でも世界中の軍隊で教材とされている(自衛隊もそうだという)。

ハンニバル軍の死者は5000人ほどであるのに対して、ローマ軍の死者は7万人。

圧勝であった。

しかし、ハンニバルはこの大勝利で絶好の機会を得たにもかかわらず、ローマに進軍せずカンパニア地方を押さえつつ、ローマが和を乞うてくるのも待った。

そして、そこで潮目が変わり、次第にローマに押し戻されていくのである。

ここまでのハンニバル戦争の経緯を見れば、ハンニバルはイベリア半島のサングトゥム領有をローマが妨害したことに激高し、一気にアルプス越えに突き進みイタリア本国内で暴れまくっている。

そのような攻勢的な姿勢と、カンナエの大勝利以降の振る舞いが明らかに違うのである。

これまで読んできた本でも、このハンニバルの振る舞いの変化について、様々な推測がなされていたが、本書での内容が一番しっくりときた。

それは、ハンニバルが「緩やかな反ローマ連合の形成」ということしか、勝利の政治的なイメージとしてしか持っていなかったからだと著者は言うのである。

その原因は、ハンニバルが対ローマ開戦時に「ローマに勝つとはどういうことか」を明確にしないまま戦争に突入してしまったからだとも著者は言う。

もちろん、ハンニバルの属するバルカ家にとって、対ローマ戦争(第一次ポエニ戦争への報復としての第二次ポエニ戦争)をしかけることは自明のことであった。

しかし、そのためにイベリア半島全体の支配を確実なものにする前に、サングトゥムの領有をめぐって、いきなりアルプス越えにまで突き進んでしまった。

5万でイベリア半島を出発したハンニバル軍は、アルプスを越えたときにはわずか2万にまで減っていたのである。

しかし、ここまではハンニバルにとって想定内であったようだ。

2万であったとしても、ローマ軍に初戦で打撃を与えることができれば、ローマ支配に反発している北部イタリアのガリア人が味方に付くと読んでいたのである。

そして、そのための準備と連絡も出陣の前に周到に行っており、実際、アルプス越えの後はその通りになった。

ここからは、ぼくの考えである。

つまり、ハンニバルは軍事的戦争指導者としては、戦略的にかなり先の見通しまで持って準備し、戦術的にも天才的な力を発揮している。

しかし、政治的指導者としては、未熟ということであったのかもしれない。

考えてみれば、アルプス越えに出陣した時のハンニバルはまだ30歳に満たない若さであった。

政治的勝利を構想するには若すぎたのかもしれない。

似たようなことを、アレクサンドロスの東征にも感じる。

アレクサンドロスの東征は父王から引き継いだ事業でもあった。
そして、アレクサンドロスは最大の敵ペルシャを破り、さらに東征していく。

軍事的にはものすごい天才ぶりを発揮する。

しかし、インドを前にして将兵の反対にあって更なる東征を断念する。

彼は、ペルシャをはじめとする征服地域を被征服民に自ら支配させる。

そして将兵には現地人との結婚と定着を奨励する。

これは、19世紀のフランス型植民地支配の原型ともされるのであるが、ぼくにはアレクサンドロスが予め構想を持って、そのような支配を行ったのだとはとても思えないのである。

つまり、若き天才的軍事指導者は、その才能に導かれるままにどんどん征服地を広げていったが、その征服地をどのように経営するかの構想は持っていなかった。

征服地に大量の軍隊を駐屯させれば東征の軍勢は減少せざるを得ない。

東征を続行したいアレクサンドロスは、いわば泥縄的にやむなく被征服民による支配を認めたに過ぎないのではないか。

アレクサンドロスもハンニバル同様に20代の若さであったことを考えれば、である。

ただ本書は、この「緩やかな反ローマ連合」という点については、もう一つの可能性を指摘している。

それはカルタゴが通商国家であったという点に原因があるかもしれないということである。

通商国家とは、各民族や地域の差異を利用する。

この差異こそが、彼らの利益の源泉だ。

差異があるからこそ通商が盛んとなるのである。

ローマの場合は、ハンニバル戦争以降、巨大で同質的な大帝国の構築に向かう。

つまりローマ的な勝利とは、完全な征服であり被征服民の同質化=ローマ化であった。

カルタゴの場合は、先に述べたようにそれでは通商が成立しない。

だからこそ、ローマも残り、緩やかな反ローマの連合も残って、それがある程度安定的に維持されることが理想であったのかもしれない。

そして、そのようなカルタゴ的な価値観がハンニバルの発想の根底にあったとすれば、ローマ征服に向かわなかった意味も理解できる。

いずれにせよ、示唆的なところの多い良書である。

やはり、古代史は面白い。

古代ローマは大好きだが、カルタゴはもっと好きだw
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