80年代を象徴する「冷戦構造と単純明快映画」が崩壊し
複雑怪奇で多彩な国際情勢・映画芸術が台頭していく姿を
90伝代アメリカ映画界の動向を通じて描いた作品であります。
(その裏側で「アカデミー賞を利用して観客を集める手法」による
アカデミー賞の権威失墜・利益追求のみを任務とする
ビジネスマンによる映画界支配が進行している点に
言及している点も見逃せません。)
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90年代アメリカ映画100 (アメリカ映画100シリーズ) 単行本(ソフトカバー) – 2012/4/3
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【1990年~1999年。10年の時を経て今、みるべき100本とは??】
クエンティン・タランティーノの登場に象徴されるインディーズの活況。
それはメジャーとインディーズの垣根を無効化するほどの勢いだった。
折しも冷戦の二項対立の構造が終焉を迎え、社会自体が価値観を多元化するのが90年代。
揺らぐ世紀末を映画はどのように描きだしたのか?
いまだ評価すべき基軸を見いだしにくい90年代を10のコラムとカタログ100で検証します。
【コラム・インタビュー・対談一覧】
• 大場正明「90年代アメリカ社会総論」
• 町山智浩「アカデミー作品賞に見る90年代アメリカ映画界の様相」
• 粉川哲夫「90年代アメリカ映画のメディア的側面」
• 池田純一「大統領と映画の蜜月」
• 樋口泰人「ドリューとモーガン/90年代アメリカ映画俳優論」
• 生井英考「リベラリズム、グローバリズム、テロリズムの転換点/フォレスト・ガンプが象徴するもの」
• 柳下毅一郎「スピルバーグとキャメロンの90年代」
• 長谷川町蔵「ヒップホップとサンプリング映画」
• 越智道雄「冷戦後のアメリカの風景」
• 越川芳明「オブセッションの映画、映画のオブセッション」
• 対談:山崎まどか×金原由佳「私たちの90年代アメリカ映画」
【紹介映画100本】
■1990年
グッドフェローズ◇羊たちの沈黙◇ワイルド・アット・ハート◇ダンス・ウィズ・ウルブズなど
■1991年
ターミネーター2◇バートン・フィンク◇JFK◇マイ・プライベート・アイダホなど
■1992年
許されざる者◇レザボア・ドッグス◇ザ・プレイヤー◇マルコムXなど
■1993年
ショート・カッツ◇シンドラーのリスト◇ジュラシック・パーク◇ウェディング・バンケットなど
■1994年
パルプ・フィクション◇ナチュラル・ボーン・キラーズ◇フォレスト・ガンプ◇クイズ・ショウなど
■1995年
セブン◇カジノ◇ユージュアル・サスペクツ◇ヒートなど
■1996年
ファーゴ◇ミッション:インポッシブル◇ラリー・フリント◇クラッシュなど
■1997年
ブギーナイツ◇スターシップ・トゥルーパーズ◇ジャッキー・ブラウン◇タイタニックなど
■1998年
プライベート・ライアン◇シン・レッド・ライン◇ベルベット・ゴールドマイン◇バッファロー'66など
■1999年
シックス・センス◇楽園をください◇インサイダー◇スリー・キングスなど
クエンティン・タランティーノの登場に象徴されるインディーズの活況。
それはメジャーとインディーズの垣根を無効化するほどの勢いだった。
折しも冷戦の二項対立の構造が終焉を迎え、社会自体が価値観を多元化するのが90年代。
揺らぐ世紀末を映画はどのように描きだしたのか?
いまだ評価すべき基軸を見いだしにくい90年代を10のコラムとカタログ100で検証します。
【コラム・インタビュー・対談一覧】
• 大場正明「90年代アメリカ社会総論」
• 町山智浩「アカデミー作品賞に見る90年代アメリカ映画界の様相」
• 粉川哲夫「90年代アメリカ映画のメディア的側面」
• 池田純一「大統領と映画の蜜月」
• 樋口泰人「ドリューとモーガン/90年代アメリカ映画俳優論」
• 生井英考「リベラリズム、グローバリズム、テロリズムの転換点/フォレスト・ガンプが象徴するもの」
• 柳下毅一郎「スピルバーグとキャメロンの90年代」
• 長谷川町蔵「ヒップホップとサンプリング映画」
• 越智道雄「冷戦後のアメリカの風景」
• 越川芳明「オブセッションの映画、映画のオブセッション」
• 対談:山崎まどか×金原由佳「私たちの90年代アメリカ映画」
【紹介映画100本】
■1990年
グッドフェローズ◇羊たちの沈黙◇ワイルド・アット・ハート◇ダンス・ウィズ・ウルブズなど
■1991年
ターミネーター2◇バートン・フィンク◇JFK◇マイ・プライベート・アイダホなど
■1992年
許されざる者◇レザボア・ドッグス◇ザ・プレイヤー◇マルコムXなど
■1993年
ショート・カッツ◇シンドラーのリスト◇ジュラシック・パーク◇ウェディング・バンケットなど
■1994年
パルプ・フィクション◇ナチュラル・ボーン・キラーズ◇フォレスト・ガンプ◇クイズ・ショウなど
■1995年
セブン◇カジノ◇ユージュアル・サスペクツ◇ヒートなど
■1996年
ファーゴ◇ミッション:インポッシブル◇ラリー・フリント◇クラッシュなど
■1997年
ブギーナイツ◇スターシップ・トゥルーパーズ◇ジャッキー・ブラウン◇タイタニックなど
■1998年
プライベート・ライアン◇シン・レッド・ライン◇ベルベット・ゴールドマイン◇バッファロー'66など
■1999年
シックス・センス◇楽園をください◇インサイダー◇スリー・キングスなど
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社芸術新聞社
- 発売日2012/4/3
- 寸法2 x 148 x 210 cm
- ISBN-104875863152
- ISBN-13978-4875863151
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
フィルムを通して読む、社会、カルチャー、人間。いま見つめ直す世紀末の風景。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大場/正明
評論家。1957年横浜市生まれ。中央大学法学部卒。映画、文学、音楽、その他の評論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
評論家。1957年横浜市生まれ。中央大学法学部卒。映画、文学、音楽、その他の評論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 芸術新聞社 (2012/4/3)
- 発売日 : 2012/4/3
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 320ページ
- ISBN-10 : 4875863152
- ISBN-13 : 978-4875863151
- 寸法 : 2 x 148 x 210 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 84,536位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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映画評論家、コラムニスト。1962年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。宝島社社員を経て、洋泉社にて『映画秘宝』を創刊。現在カリフォルニア州バークレーに在住。TBSラジオ「たまむすび」レギュラー。週刊文春などにコラム連載中。映画評論の著作に『映画の見方がわかる本』『ブレードランナーの未来世紀』『トラウマ映画館』『トラウマ恋愛映画入門』など。アメリカについてのエッセイ集に『底抜け合衆国』『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』などがある。
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.7
星5つ中の4.7
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トップレビュー
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VINEメンバー
Amazonで購入
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2012年12月3日に日本でレビュー済み
パラパラ眺めているだけでも楽しいです。映画DVDの購入ガイドなどにも仕えるし、90年代の精神史にもなっています。
冷戦が崩壊し、あの頃は朝起きる甲斐があった、平均的アメリカ人(アップダイク)の不安が画面に炸裂します。
IT革命、
資本主義の爛熟、
驚異的に発展したCG技術で恐竜をつくったり、タイタニックを沈めたり、マトリックスをやったり。
こうしてハリウッドがいつも文化の中心にいるのは、資金や人材集めのシステムなのか。
「アイスストーム」や「ビーチ」のように中国などの海外からきた監督が、
アメリカの文化的危機を取ってバッシングされてみたりと。
60年代からのアメリカの文化革命を否定し、愚直なアメリカ人を称揚するイデオロギー映画「フォレストガンプ」を叩いてみるとか。
文化史の知識も入るようになっています。
冷戦が崩壊し、あの頃は朝起きる甲斐があった、平均的アメリカ人(アップダイク)の不安が画面に炸裂します。
IT革命、
資本主義の爛熟、
驚異的に発展したCG技術で恐竜をつくったり、タイタニックを沈めたり、マトリックスをやったり。
こうしてハリウッドがいつも文化の中心にいるのは、資金や人材集めのシステムなのか。
「アイスストーム」や「ビーチ」のように中国などの海外からきた監督が、
アメリカの文化的危機を取ってバッシングされてみたりと。
60年代からのアメリカの文化革命を否定し、愚直なアメリカ人を称揚するイデオロギー映画「フォレストガンプ」を叩いてみるとか。
文化史の知識も入るようになっています。
殿堂入りNo1レビュアーベスト500レビュアー
1990年から1999年の間に製作されたアメリカ映画100本を選んで解説したカタログ風の書です。100本中、私が見たのは69本だけですが、どれも秀作ぞろい。お金を払ってでも見て損はない映画がほとんどです。
これは<アメリカ映画100シリーズ>の第3弾にあたります。
このシリーズの常ですが、私は各作品の解説部分よりもコラム記事的文章のほうをいつも楽しみにしてきました。ですが、今回は町山智浩の「アカデミー作品賞に見る90年代アメリカ映画界の様相」くらいしか見るべきコラムが見当たりませんでした。
町山は、90年代のアメリカ映画界を特徴づけるものとして、ミラマックスとドリームワークスの「アカデミー賞獲得戦争」や、タランティーノやスパイク・ジョーンズ、ウォシャウスキー兄弟といったオタク的映像作家の台頭であるとしています。町山は常に平易かつ“やんちゃな”言葉遣いで映画の時代的特徴を小気味よく切って見せるので、私は大変気に入っています。
今回はむしろコラム記事よりも、個別の映画作品の解説に見るべきものが多少なりともあったという思いがしています。
『 ウェディング・バンケット [DVD ]』の項では、「あらゆる社会集団の文化の尊重を目指す多文化主義社会は、逆に個人に、所属する集団の文化に応じて行動するよう期待する。だから誰もが強制された役割を演じ生きるしかない息苦しさが生じるのだ。」と記しています。(114頁)
異なる多数の文化が共棲する社会の中で同化を強要されることがなくなったという肯定的現象の背後に、所属集団内で新たな葛藤が生まれることになるという負の側面を指摘していて、大変示唆的です。
『 セブン 』の項では、箱入り首の場面を撮るか撮らないかをめぐってフィンチャー監督とプロデューサーとの間で確執があったという点に目がとまりました。映画公開から数十年後に人々はこの映画のことを箱入り首の映画として記憶し続けると言って監督は相手を説得したというのです。確かに私は、『セブン』を箱入り首の映画として後味悪く今も思い出しますが、まんまと監督の策にはまったということなのでしょう。あのシーンがなければこの映画は私の中で顧みられることのない作品に終わったに違いないでしょうから。
これは<アメリカ映画100シリーズ>の第3弾にあたります。
このシリーズの常ですが、私は各作品の解説部分よりもコラム記事的文章のほうをいつも楽しみにしてきました。ですが、今回は町山智浩の「アカデミー作品賞に見る90年代アメリカ映画界の様相」くらいしか見るべきコラムが見当たりませんでした。
町山は、90年代のアメリカ映画界を特徴づけるものとして、ミラマックスとドリームワークスの「アカデミー賞獲得戦争」や、タランティーノやスパイク・ジョーンズ、ウォシャウスキー兄弟といったオタク的映像作家の台頭であるとしています。町山は常に平易かつ“やんちゃな”言葉遣いで映画の時代的特徴を小気味よく切って見せるので、私は大変気に入っています。
今回はむしろコラム記事よりも、個別の映画作品の解説に見るべきものが多少なりともあったという思いがしています。
『 ウェディング・バンケット [DVD ]』の項では、「あらゆる社会集団の文化の尊重を目指す多文化主義社会は、逆に個人に、所属する集団の文化に応じて行動するよう期待する。だから誰もが強制された役割を演じ生きるしかない息苦しさが生じるのだ。」と記しています。(114頁)
異なる多数の文化が共棲する社会の中で同化を強要されることがなくなったという肯定的現象の背後に、所属集団内で新たな葛藤が生まれることになるという負の側面を指摘していて、大変示唆的です。
『 セブン 』の項では、箱入り首の場面を撮るか撮らないかをめぐってフィンチャー監督とプロデューサーとの間で確執があったという点に目がとまりました。映画公開から数十年後に人々はこの映画のことを箱入り首の映画として記憶し続けると言って監督は相手を説得したというのです。確かに私は、『セブン』を箱入り首の映画として後味悪く今も思い出しますが、まんまと監督の策にはまったということなのでしょう。あのシーンがなければこの映画は私の中で顧みられることのない作品に終わったに違いないでしょうから。