歴史好きの方でもそうでない方でも武士道の基礎となる書として最高に面白いです。
物語としても秀逸だと思いました。最近は友人へのプレゼントとしても利用しています。
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死ぬことと見つけたり(下)(新潮文庫) Kindle版
価格 | 新品 | 中古品 |
鍋島藩に崩壊の兆しあり。藩主勝茂が孫の光茂を嫡子としたためだ。藩内に燻る不満を抑え切るには、光茂では器量が小さすぎた。老中松平信綱は、不満分子と結び、鍋島藩解体を画策する。信綱の陰謀を未然に潰そうと暗躍する杢之助たち。勝茂は死に際し、佐賀鍋島藩存続のため信綱の弱みを掴め、と最期の望みを託した! 男の死に方を問う葉隠武士道をロマンとして甦らせた時代長編。
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1994/9/1
- ファイルサイズ457 KB
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
武士道とは死ぬことと見つけたり―常住坐臥、死人となって生きる佐賀鍋島「葉隠」武士。斎藤杢之助、中野求馬、牛島万右衛門らの、死人ゆえに強烈、死人ゆえに爽やかな生きざま。藩の存亡をめぐって、老中・松平伊豆守信綱との対決が迫る…。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
出版社より
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---|---|---|---|---|---|
影武者徳川家康〔上〕 | 影武者徳川家康〔中〕 | 影武者徳川家康〔下〕 | 死ぬことと見つけたり〔上〕 | 死ぬことと見つけたり〔下〕 | |
家康は関ヶ原で暗殺された!余儀なく家康として生きた男と権力に憑かれた秀忠の、風魔衆、裏柳生を交えた凄絶な暗闘が始まった。 | 武士道とは死ぬことと見つけたり──常住坐臥、死と隣合せに生きる葉隠武士たち。鍋島藩の威信をかけ、老中松平信綱の策謀に挑む! |
登録情報
- ASIN : B00DOT52UM
- 出版社 : 新潮社 (1994/9/1)
- 発売日 : 1994/9/1
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 457 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 330ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 49,756位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 174位歴史・時代小説 (Kindleストア)
- - 1,427位新潮文庫
- - 5,675位日本の小説・文芸
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1923-1989)東京生れ。東大文学部仏文科卒。在学中、辰野隆、小林秀雄に師事する。編集者を経て、大学で仏語教師を勤める。中央大学助教授を辞任後、本名・池田一朗名で脚本家として活躍。映画「にあんちゃん」の脚本でシナリオ作家協会賞受賞。1984年、『吉原御免状』で作家デビュー。1989年には『一夢庵風流記』で柴田錬三郎賞を受賞。時代小説界に一時代を画すが、わずか5年の作家活動で急逝。
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.6
星5つ中の4.6
79 件のグローバル評価
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年10月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハリウッド映画『ラスト・サムライ』のヒットで、「武士道」という思想が再評価されている。「武士道」とは何かと考えると、私は「生き方」ではないかと考えている。もちろん、真の「武士道」とは何なのか、私自身もはっきりとわかっているわけではないが。
ある時から人生を後ろから考えるようになると言った人がいた。「後ろから」というのは、「死」から遡って、ということだ。それがいつなのか、何を契機とするかは人によって異なる。年齢かもしれないし、それまでできていたことができなくなった時かもしれないし、誰か大切な人を失った時かもしれない。そしてそれはもしかすると、誰にでもある瞬間ではないのかもしれない。
ただ、その瞬間を持った人は「自己の死」を起点に人生を考えるようになる。「死」から逆算して人生を考え、人生の中で何か大切で、何が必要なことなのか、そうした一つ一つを考え、選択しながら生きていく。私は「武士道」とはそういう考え方ではないかと考える。常に死を見つめ、死を覚悟して生きるとは、生の見つめ、自分の生をどう生きるかという覚悟と同じだ思うのだ。「いかに死ぬか」は「いかに生きるか」なのである。
しかし、本書の本当の素晴らしさはそうした思想性にあるのではない。エンターテイメントとしての完成度の高さである。常に「死」から「生」をみつめる「死人」たちの生き方は、自然、苛烈なものにならざるを得ないだろう。そうした「死人」である斎藤杢之助が本書の主人公である。冒頭の虎の爪に引き裂き殺される「死の稽古」の場面から始まり(そういえば、『ラストサムライ』も虎と闘う場面から始まっている。偶然であろうが…)、筆者得意の「死人」「いくさ人」たちの活躍に物語世界にぐいぐいとひきこまれる。この杢之助を中心に、中野求馬、牛島萬右衛門の3人の「死人」たちの権力者に媚びず、自分達の信じるもの、守ろうと思うもののために、そして遊びに命を賭ける姿が描かれていく。彼等は「死人」「いくさ人」独特の冴えた目で、自分を、他人を見つめていく。次々に鍋島藩にふりかかる事件や幕閣との確執などの出来事と相まって、彼等のその破天荒で苛烈な生きざまは痛快かつ爽快である。
残念ながら、題名だけを見て、「死を礼讃するような本」と決めつける人がいるようである。しかし、本書はそんなに狭い思想を説いたものではない。ぜひ本書に目を通してほしい。
ある時から人生を後ろから考えるようになると言った人がいた。「後ろから」というのは、「死」から遡って、ということだ。それがいつなのか、何を契機とするかは人によって異なる。年齢かもしれないし、それまでできていたことができなくなった時かもしれないし、誰か大切な人を失った時かもしれない。そしてそれはもしかすると、誰にでもある瞬間ではないのかもしれない。
ただ、その瞬間を持った人は「自己の死」を起点に人生を考えるようになる。「死」から逆算して人生を考え、人生の中で何か大切で、何が必要なことなのか、そうした一つ一つを考え、選択しながら生きていく。私は「武士道」とはそういう考え方ではないかと考える。常に死を見つめ、死を覚悟して生きるとは、生の見つめ、自分の生をどう生きるかという覚悟と同じだ思うのだ。「いかに死ぬか」は「いかに生きるか」なのである。
しかし、本書の本当の素晴らしさはそうした思想性にあるのではない。エンターテイメントとしての完成度の高さである。常に「死」から「生」をみつめる「死人」たちの生き方は、自然、苛烈なものにならざるを得ないだろう。そうした「死人」である斎藤杢之助が本書の主人公である。冒頭の虎の爪に引き裂き殺される「死の稽古」の場面から始まり(そういえば、『ラストサムライ』も虎と闘う場面から始まっている。偶然であろうが…)、筆者得意の「死人」「いくさ人」たちの活躍に物語世界にぐいぐいとひきこまれる。この杢之助を中心に、中野求馬、牛島萬右衛門の3人の「死人」たちの権力者に媚びず、自分達の信じるもの、守ろうと思うもののために、そして遊びに命を賭ける姿が描かれていく。彼等は「死人」「いくさ人」独特の冴えた目で、自分を、他人を見つめていく。次々に鍋島藩にふりかかる事件や幕閣との確執などの出来事と相まって、彼等のその破天荒で苛烈な生きざまは痛快かつ爽快である。
残念ながら、題名だけを見て、「死を礼讃するような本」と決めつける人がいるようである。しかし、本書はそんなに狭い思想を説いたものではない。ぜひ本書に目を通してほしい。