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徳川家康〈23〉蕭風城の巻 単行本 – 1982/12/1
- 本の長さ419ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1982/12/1
- ISBN-104061805231
- ISBN-13978-4061805231
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (1982/12/1)
- 発売日 : 1982/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 419ページ
- ISBN-10 : 4061805231
- ISBN-13 : 978-4061805231
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,008,931位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 183,650位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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著者について
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1907~1978。新潟県生まれ。十四歳で上京の後、長谷川伸に師事。昭和13年、懸賞小説に入選し文壇デビュー。昭和25年から新聞に『徳川家康』を 連載開始。十八年がかりで完成したこの大河小説は「経営トラの巻」としても幅広い読者を獲得、五千万部突破という戦後、最大のベストセラーとなる。同作品 で「吉川英治文学賞」を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 新装版 豊臣秀吉(4) (ISBN-13: 978-4063706994)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.3
星5つ中の4.3
27 件のグローバル評価
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相当前(春頃)に購入しましたが事情があり今日まで読めずにいましたが昨日読み始めたら表紙は確かに23巻でしたが中身は24巻でした。ちなみに同時に24巻も買っていました。こんなことあるのでしょうか。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
相当前(春頃)に購入しましたが事情があり今日まで読めずにいましたが昨日読み始めたら表紙は確かに23巻でしたが中身は24巻でした。ちなみに同時に24巻も買っていました。こんなことあるのでしょうか。

相当前(春頃)に購入しましたが事情があり今日まで読めずにいましたが昨日読み始めたら表紙は確かに23巻でしたが中身は24巻でした。ちなみに同時に24巻も買っていました。こんなことあるのでしょうか。
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2009年11月27日に日本でレビュー済み
大御所家康公の悲願は応仁このかたの戦乱に終止符を打ち、
磐石な泰平の世を築く・・・そのために諸法度に基づき
全国的な武装解除を推進しました。
豊家を平和裏に存続させるつもりの家康公、そのために執政・片桐且元と
秀頼の移封を大坂方に承服させるべく水面下で慎重に根回しを重ねていたのです。
折からの切支丹や事あれかしの、関ヶ原牢人たちの大坂入城が所司代板倉勝重より
駿府へもたらされます。太閤の17回忌に相当する‘方広寺大仏開眼供養’を
武力蜂起のタイミングとみなし、それを阻止せんが為、敢えて打った苦肉の策が
例の‘国家安康・君臣豊楽’の文言でした。
家康公も忸怩たる思いだった事でしょう。京洛の治安維持のためには
万やむを得ざる措置でした・・・・。
大坂方も10万の牢人を抱え、天下の要害大坂城に拠って・・・、
不明にも程があります。家康公にとってこれはもはや戦ではなく
威力偵察というか演習のようなもの。何とか時機を計り、講和を・・・。
という家康公の真意に攻守双方が気付かない・・・・・。
それもその筈、元亀・天正の頃をつぶさに知っているのは今や家康公と
伊達政宗位です。互いの生存や信義をかけて刀槍に及ぶのが大人の‘戦’であり、
徒に武力を弄ぶのは‘戦’ではなくコドモの喧嘩です。
コドモ同士では戦になりません。
片桐且元の交渉の姿勢・・・・考えさせられます。
落としどころやタイミングを誤ると、大変な事になってしまう・・・。
交渉や外交に人を得ない陣営は悲劇しかないという事です。
先の太平洋戦争もそうでした。
山岡先生はこの巻でその点に言及されたかったのでは・・・?
そう感じました。
磐石な泰平の世を築く・・・そのために諸法度に基づき
全国的な武装解除を推進しました。
豊家を平和裏に存続させるつもりの家康公、そのために執政・片桐且元と
秀頼の移封を大坂方に承服させるべく水面下で慎重に根回しを重ねていたのです。
折からの切支丹や事あれかしの、関ヶ原牢人たちの大坂入城が所司代板倉勝重より
駿府へもたらされます。太閤の17回忌に相当する‘方広寺大仏開眼供養’を
武力蜂起のタイミングとみなし、それを阻止せんが為、敢えて打った苦肉の策が
例の‘国家安康・君臣豊楽’の文言でした。
家康公も忸怩たる思いだった事でしょう。京洛の治安維持のためには
万やむを得ざる措置でした・・・・。
大坂方も10万の牢人を抱え、天下の要害大坂城に拠って・・・、
不明にも程があります。家康公にとってこれはもはや戦ではなく
威力偵察というか演習のようなもの。何とか時機を計り、講和を・・・。
という家康公の真意に攻守双方が気付かない・・・・・。
それもその筈、元亀・天正の頃をつぶさに知っているのは今や家康公と
伊達政宗位です。互いの生存や信義をかけて刀槍に及ぶのが大人の‘戦’であり、
徒に武力を弄ぶのは‘戦’ではなくコドモの喧嘩です。
コドモ同士では戦になりません。
片桐且元の交渉の姿勢・・・・考えさせられます。
落としどころやタイミングを誤ると、大変な事になってしまう・・・。
交渉や外交に人を得ない陣営は悲劇しかないという事です。
先の太平洋戦争もそうでした。
山岡先生はこの巻でその点に言及されたかったのでは・・・?
そう感じました。